- 2020年2月中旬
- 東京都
- 2日間
ES
提出締切時期 | 2020年1月下旬 |
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「使命感」と「革新」に関しての経験を述べる。高校の頃、80名を超えるサッカー部の主将を務めた。チームの一年間の目標を全員の意見を聞きまとめたが、「県制覇」であった。40年ほど県の頂点に立てていない部活にとっては少々荷が重いように感じたが、部全体の相違で決まった。いざチームが始動すると、問題が発生したのだが、それは、「先生による出場選手の不当選出」であった。一時的でなくそれも長期的にその選出が続いたため、幹部で話し合い、先生が持つ選出権を我々幹部に譲渡してもらうように抗議を行った。その結果選出権を幹部が得たのだが、これは先生が指導して初めてのことであった。(その後、よくぞ抗議しに来たと褒められた)「革新」を主導し、その後80人の目標達成の責任を感じながら大会に臨んだが、県制覇の一歩手前の準優勝までで止まった。しかし、大きな使命感を感じてチームを率いたことでそうした結果を得られたと今では感じている。
フィリピンへ一人旅をしに行き、深夜1時ごろに歓楽街を歩いていた際、3歳にも満たない男の子が私の周りに3人やってきて、「金をくれ」とせがんできた。そして、日本円で1円にも満たない小銭を譲渡すると、大喜びで感謝の言葉を述べてきた。この光景に私は衝撃を受けた。自分はいかに甘えた環境で育ってきたのかと羞恥心にかられると同時に、貧富の差がこれほどまでに存在するのかと驚いた。その出来事をきっかけに、自分を育ててきてくれた周りの関係者により感謝の気持ちをもって過ごすようになり、この貧富の格差を社会的問題だととらえ、より深い知見を得ようとそれ周辺の学問に打ち込んだ。また、その経験を風化させないように、他の東南アジアの国へ訪問し、その格差がどれほど広く深く存在するのかを逐一確認した。一方で、この価値観の変化は誰にでも起こりうるものだと考え、まだそうした国々へ行ったことのない友達や知り合いに状況を伝え、訪問することを進めている。
10年後、私は、?世界の貧困が少しでも解決されるように貧困国の経済の発展に自分のできること少しでも行いたい、?育ててもらった地元滋賀へ貢献したい、と考えている。そのために今現在取り組んでいることは、?大学院の授業で経済学を学ぶことにより、経済発展の仕組みを理解しようとしている。またそれと同時に、前述したように、様々な発展途上国を訪問し、現地の状況を現地人と話したり、そこで働いている日本人と話し合いをしたりしている。?ゼミ活動で滋賀県の観光政策への提言を考え、滋賀県をどのようにPRしていけばよいかを考えている。またそれと同時に、より滋賀県を理解しようと今まで行ったことのない滋賀の観光地に足を踏み入れ、その地について学んでいる。今後取り組みたいことは、両方に共通するのだが、その道の専門家に直接話を聞く機会を自分で探りに行き、知見を深めたい。
私は小さなころから、周囲から絶対に無理だろうと言われるような高い目標を設定し、それを達成するために、自分の全リソースを注ぎ込んできた人間である。私が所属したサッカーサークルも、京都で一度も優勝したことがないチームだったが、高い目標を立て、サークルでありながら日々練習に全力を注ぐ姿勢に共感したから
もちろん、京都府のサッカーサークルがすべて集まる大会での優勝することを目指していたが、それに値する日々の練習の強度維持やゲームキャプテンとして周りから信頼されるような周りとのコミュニケーションを意識せずともできるように、日々責任感を持ってサッカーに取り組む姿を目指していた。
一番の壁は、サークルが故の部員間の意識のズレであった。高い目標設定とそれに向かうための重い雰囲気により、息苦しさを覚えた部員が続々と辞める時期があった。しかし、人がいてのサークル活動であるとの認識を幹部内で統一させ、練習の強度が下がりすぎないように調整しながら妥協点を探り、良い頃合いを見つけられた。
ESのみでの選考だったため、読み手の印象に残るようなエピソードを記入した。
ESの各項目の指定が細かいので、それに沿うように記入した。